Acoustic Walden BANDの安曇野日記 Vol.997「ハーンと旋律」の巻
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Acoustic Walden BANDの安曇野日記 Vol.997「ハーンと旋律」の巻
みなさんこんにちは、Acoustic Walden BANDの安曇野日記の時間です。
若い日にラフカディオ・ハーン、小泉八雲の作品全集を読みました。
「怪談」だけではなく、膨大な著作を網羅した高価な全集を苦労して買って読破した覚えがあります。
ハーンは漱石の前任の東大文学部の教師で、漱石は学生から排斥運動を起こされています。
当時の東大生に自治の能力があったのか、それとも単にアホな子どもなのか、わかりませんが。
さて、ハーンのおそらく「知られぬ日本の面影」という本の中の「神国の首都‐松江」という文章だったと思います。
ハーンは目が悪かったので私が思うに聴覚による感性に優れていて、それを文章に変換するある種のコンバーターのような能力を身に付けていたのだと思います。
ハーンの耳に入る松江の音、恋愛のように深い朝の情景であり、シジミ売りの声であり、散歩の下駄の音であり、妻であるセツが使う包丁とまな板の音、であったりします。
それらの音を、生活音を、見事に文章に変換して情感を持たせて訴えかけてきます。
僕はその文章の質感を今も覚えています。
そして音楽の音階、民族がそれぞれに持っている音階・スケールが誕生するありさまを文章に変換した、稀有なハーンの体験だとも思っています。
そこで生活している人しか出しえない音、それは音程を持っていて、音の度・ディグリーとして無意識に子孫に伝わって行きます。
おそらくは台所の音の中で働く女性の耳を通して、そして母となった女性はそれを子守歌の音階に変化させて子に伝えて行きます。
12音階・クロマティックスケールは完成しないでしょうが、赤ん坊が泣きやむ旋律、母のまわりにあるいつもの生活音の旋律、は伝承されます。
おおむね4番目と7番目が抜けていると言われていますが。
昨夜、森下とエミちゃんにスケールの講義をしていて、そんな話をしました。
ただし、この話でギターはうまくなりません。
森下、テメーバカヤローお盆でさぼりやがって!!
話聞いてうまくなると思うなよ、お前の必死な努力が足んねーんだよ!!
キレイごとで済むんなら苦労しねーんだよ!!
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