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森の中の自家焙煎コーヒー店「カフェウォールデン」で猫と音楽の生活

Waldenの安曇野日記 Vol.23

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Waldenの安曇野日記 Vol.23「コーヒーの部屋」の巻 その2


何回か前の安曇野日記に、「コーヒーの部屋」という文章を書いたらとても反響があったので、その続きを書いてみます。

僕の、作曲家だったという叔父さんは当時、三木鶏郎グループに自分の作曲した作品を投稿していたようで、コマソン、今で言うCMソングを手がけていたそうです。
カゴメトマトジュースの最初のCMソングがそうだった、という話しを聞いて、後年、カゴメ株式会社に聞いてみたところ、古い話なのにとても丁寧に調べて頂きました。
しかし、どうやら違う作曲家の方の作品だったようです。
僕としては、叔父の作った曲のフレーズを聴くことが出来たら、自分が作っている曲との相似点を知ることができたかな、と思います。
戦争で焼け残った叔父の家の「コーヒーの部屋」には、若い音楽家がたくさん集まっていたそうで、その中には今でも活躍をされている有名な作曲家の方もいらっしゃるので、その方にもお聞きしたのですが、やはり古い資料はお持ちではない、とのことでした。
叔父は作曲の他に、起譜の仕事もしていたようで、まあ今で言う「耳コピ」というのをして楽譜に起こしていたのでしょうね。
「耳コピ」は、僕の得意ジャンルでもあるので、その点は似ているのかもしれません。
「耳コピ」の極意、教えてもらいたかったなあ。きっと、僕なんかには思いもよらない知識をたくさん持っていたでしょうから。
僕の父がある時、「叔父が生きていたら、きっとお前の良い相談相手になっていたと思う」と言っていました。
ラグビーやってたんですよね。音楽とラグビー。それとコーヒー。
僕はラグビーではないですが、あるスポーツをしていたことがあります。
スポーツの仕事をしながら海外に行っても、音楽をやっていましたしね。

叔父さんは33歳で亡くなるのですが、僕も同じ歳に大怪我をして人生の転換を余儀なくされました。
晩年、といってもまわりも本人もそんなこと考えていなかったでしょうが、仏像に興味を持っていたようで、部屋に仏像の写真が飾ってありましたね。
精神的なものを探求したのでしょう。それともなにか予感がしたのか。
ともあれ、叔父は従容としていたそうです。
僕?僕はまったく従容となんかしていません。
ジタバタジタバタ生きています。
文句言いながら、ゴチャゴチャ考えて。

叔父さんへ、
今日もコーヒーが売れました。
作曲は、少しずつやって行きます。
いつか、いろいろなことを教えてください。
それでは。

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